(本文は平成22年に地元歯科医師会の機関紙に投稿したものです。)
サブタイトルが無ければ、昔イタリア映画にあった 思春期の頃に年上の綺麗な女性との様々な体験を映像化した
「青いシリーズ」を連想するようなタイトルでありますが、残念ながらそのような内容ではございません。
私は昭和33年、愛知県の瀬戸市という所で生まれ育ちました。今年で確か52歳になります。
ほぼ「サザエさん」の母 磯野フネの設定年齢と同じとのことです。これを知った時には愕然としました。
で、瀬戸市という所はその名のとおり瀬戸物(陶磁器)の産地で比較的知名度はあるのですが、それ以外に特記すべきものは何も無く 名古屋人からですら田舎呼ばわりされる
所故、これから記載することは全ての情報が先行し、最先端を行く東京で育った同年代の方々とはタイムラグがあるかも知れませんので、ご了承下さい。
昭和45年頃、すなわち12、3歳になった頃に近所に所謂ジーパン屋が開店しました。
その当時ジーパンと言えば、年配の方々はこぞって「あんなものはアメリカのモンペだ。
みっともないから履くんじゃね~」などと言っておりました。
そろそろ好奇心も旺盛となり、服も親が与えた物ではなく自分で選びたい年頃になってきており、
当然のようにジーパンなるものを履こうと、そのお店に向かいました。
店内の当時の品揃えはほぼ国産で、というかMade in USAはこのお店に無かったような、
もしあったとしても1ドル360円の時代ですから高価過ぎて完全に対象外で
目に入らなかったのではなかったかと思います。
ビックジョン、ボブソン、エドウィンあたりが国産主力メーカーでした。
オーソドックスなインディゴ・ブルーのデニム地の他にも 今以上にかなりのカラーバリエーションがあり、
シルエットはストレートかスリムそしてベルボトムの3種類ぐらいでした。
で、私が最初に購入したのは自分の体型をも省みず、ビッグジョンのベルボトム
カラーはオレンジ、股間はジッパーではなく露出したボタン止めという代物で、
なんて無茶な選択したのだろうと今でも後悔しております。
後日取りに行き(当時は即日裾上げではありませんでしたね。)、
さて自宅の鏡の前に立ち、自分の映った姿を見て愕然としました。
TVや写真等で同じようなジーパンを履いている方々とは大違いなのです。
何が違うのでしょう。当然顔の作りが違うのは当たり前なのですが、
ベルボトムのシルエットがまったく自分のイメージと違っていたのです。
当たり前ですね。足の短さ故、ベルボトムが開ききる前にカットされているからです。
二度とベルボトムなるものは買うもんかと誓い、次にボブソンの黒のスリムを購入しました。
まだ自分で見ても何とか絶えることができましたので、先のオレンジベルボトムは
このスリムの型に似せて裾を縫い合わせてしまいました。
その後国産ジーパンを種々買っておりましたが、ある日母親に名古屋のデパートに買物に付き合わされた際、
初めてLeeのストレートのホワイトジーンズに遭遇しました。
結構高価でしたが無理言って買ってもらいました。恐らく自分が始めて身に着けた
Made in USA ではなかったかと思います。
ご存知の方も多いとは思いますが、Leeは他のジーンズ(あえてここからはジーンズと表現させて頂きます。)
と比べお尻のポケットの形状が違うのです。
結果論かも知れませんが、なんでもこの形はヒップラインを美しく見せる為のものだそうです。
自分の後姿なんて見たこともないし、気にもしていませんが何故かこの形状が好きで、
それ以来いつもこれを履いておりました。
しかしながら白いカラー故汚れも目立ち寿命は短かったと思います。
学ランを着ていないときはいつもジーンズ姿でしたが、やがて高校生となり、
為替が変動相場制になった影響でしょう、Levi’sというメーカーを巷で見受けるようになり、
501という存在を知り、ついにこれを履くようになりました。
当時はわざと色落ちさせたものは売っておりませんでしたので、新品を漂白剤につけたり軽石で擦ったりと
とにかく早くユーズド感を出したく無駄な時間を費やしたものです。
ジーンズ好きな友人なんかはインディゴ・ブルーを略白くなるまで落とし、その後紅茶で染めるというツワモノまでおりました。
その後もこの501のバリエーションでホワイトとか、501シルエットでボタンがジッパータイプの
502とか色々と買って履いておりましたが、当然穴が空けば捨てていき、
その後はLL・bean製を米国から通販で購入したりし、気がつけば近年はユニクロの安いジーンズを
履くまでになっておりました。
ユニクロのデニムは国産のかなり生地が良いものを使っているそうですが、
どうも最近の若者がターゲットなのか股上がとても浅く、昔から履きなれた感触とは違うのです。
(高校時代には京都のHalfというアパレルメーカがあり、そのベルボトムは大変股上が浅く、
Rock野郎がロンドンブーツに合わせて履いていましたが、靴脱ぐと「殿中でござる!!」状態に・・・)
しかしその驚きの価格設定が大変魅力的で、全ての衣服はユニクロ製と言っても過言で無い状況になっておりました。
そうこうするうちに、ジーンズのサイズが自分の子供と略同じになり、
女房が洗濯後どちらのものなか解らない状態となり、自分のタンスにはジーンズが
入ってない現象が起こり始めました(マジックで名前書くのも何だかね~)。
また、以前より同い年頃の患者さんで「この人ジーンズに完全にこだわりを持ってるぞ。」という方がおりまして、
彼にも感化され、ここはまた復活させよう。ということで最近いきなりLee 4本 Levi’s 1本を購入致しました。
これらは日本で作られた物ですが股上も深く、見た目がどうとかではなく 何か懐かしい安心感があります。
今では 穴が空いたものをそれがファッションだとまったく気にせず、また501のビンテージなどはその価値が下がるからと洗わないで履き続けるという時代です。これらに関して自分は基本的には反対で、
インディゴ・ブルーとお日様の匂いが混じる、洗ったばかりのすこしゴワゴワしたジーンズが好きなのですが、
普通に履いていても何時かは色落ちし、何処かに穴は空きます。
しかしそれを恥ずかしくなく逆にオシャレとして履くことが出きるということはある意味エコなのかも知れません。
また、年代ごとの501のレプリカも販売されており、インターネットでこれらを検索しては楽しんでいるのです。
一方、ジーンズ以上に若い頃から好きなものがありまして、それはスニーカー、
特にバスケットシューズです。初めて購入したのは高校2年生の頃で、
コンバース・チャックテイラー・キャンバスオールスター・ハイカット・ホワイトです。
こう仰々しく記載すると「何か特別仕様のコンバース?」と思われるかも知れませんが、
いたって普通のコンバース、ハイカットのバッシューのことです。
やはりこれも為替相場が変動制となり、made in USAが次々と入って来た影響で
私の目にも留まったと思われます。それまで履いていたスニーカーはどういうのだっけ?
と忘れてしまうぐらいに自分としては超アメリカ的なデザインのアイテムでした。
同時期に、Pro-Ked’sというメーカーのスニーカーも見受けられるようになり、
何でも本国アメリカでは、西海岸のコンバース、東海岸のプロケッズと言われていたそうです。
私的には本来の目的であるこれらを履いて本格的なバスケットをしたらどうかという比較はしてませんが、
後者の方がデザイン的にすっきりしており、ソールが厚くクッション性に富み、
履き心地が良いという感想を持ってます。
何れも1万円程度とかなり高額でした。靴で1万円といえば、当時通学で履いていた
リーガルのコインローファーの廉価版が7千円ぐらいしましたので、
皮製でもないのにかなり高価な「ズック」ということになります。
さて、同時期に流通してきたもので決して外す事の出来ないバスケットシューズがもうひとつあります。
それはadidasのスーパースターです。
私はこのハイカットモデル(プロモデル)を当時散々探しましたが、残念ながら出会うことも出来ず、
3本ラインが黒のローカットモデルを購入し履いていました。
値段はこれがまた高くて1万5千円ぐらいしました。このスーパースターは
made in W・Germanyではなく、Franceなのです。
adidasは当時、本国の西ドイツやフランス製などがあり それぞれ異なったモデルを生産していました。
このスーパースターの上位モデルにウルトラスターというのもありました。
大概の方はこのスーパースターのハイカットモデル(プロモデル)の存在を知らないのではないかと思います。
私も当時実物を面前でみたことはありませんでした。
何故私がこのインターネットの名称すら無い時代にその存在を知っていたか・・・・
それはこの頃、女子の間で大変人気のあったイギリス出身のアイドルバンド、
ベイシティー・ローラーズのメンバーが履いていたのをテレビ画面で観たからです。
イギリスらしく、コスチュームにタータンチェックを随所に応用したこのバンドには音楽的には
まったく興味はなかったのですが、ただ足元だけは注目して見ておりました。
地元の瀬戸市なんかにはadidasを売る店すらなく、名古屋の繁華街をうろつき
このハイカットのスーパースターを探しましたが、見つかりません。
「そうだ、東京なら。東京に行こう。」ということで、何度か上京している東京好きの友人から、
アメ横もしくは中野に靴屋が多いみたい。
という情報をもらい遥々東京まで探しに来ましたが、目的は達成されませんでした。
最近になってやっとその復刻版をインターネットで購入しましたが、
残念ながらFranceの文字は何処にもなく、その代わりにKOREAの文字が入っております。
このバスケットシューズ達、タウンで履かれる前は当然、バスケット用に作成されたものですから、
競技で活躍していたことでしょう。
コンバースの創業は1910年頃だそうで、今の形になったのは1948年だそうですが、
自分がコンバースの存在を知る以前にこの靴を無意識で観ているのです。
それは多分皆さんも一度は観たことがあるであろう、アメリカミュージカル映画の
「ウエスト・サイド・ストーリー」です。
この映画でプエルトリコ系アメリカ人で組織されたシャーク団の頭(ジョージ・チャキリス)が
見事にV字バランスを決めて踊っているワンシーンを思い出す方は多いのではないでしょうか。
その際に彼はコンバースの黒のOX(コンバースはローカットをOXと呼びます。)を履いていたのです。
この映画は1961年に封切られていますが、しかもこの際に用いられたコンバースは
驚いたことにmade in Japanということなのです。
すなわちアメリカのコンバース社は日本の靴屋さんにこれらを作らせていたということになります。
時代はベトナム戦争に入っていましたので、朝鮮戦争頃より米軍関係が日本社会により多く入り込み、
大したことはしないくせに自己主張と賃金アップ要求だけはしっかりしているアメリカ人労働者(想像です。
とは異なり、職人気質で黙って真面目に丁寧な仕事をする日本(これも当時を想像)の靴メーカーに
発注依頼したのでしょう。昔、月星シューズとういメーカーがありましたが、
多分この会社に委託されていたと私は推測しています。(月星シューズはその出発点は地下足袋製作だそうです。)
色々とバスケットシューズとの係わりを記載しましたが、本当はPro-Ked’sが好きで、
これについても色々と書きたいのですが、圧倒的な人気の差なのでしょう、
今では履いている人を殆ど見かけることも無く、当時の復刻版が格安で買えるという残念なものになっています。
しかしながらコンバースのオールスターやadidasのスーパースターは現在でもスニーカーの定番として、
また色んなバリエーションが与えられ存続し、進化すらしています。
中にはそこまでしなくても良いだろうと思うものも多々見受けられますが 若い世代に脈々と引き継がれ、スニーカーの定番として履き続けられているのを見るのは大変に喜ばしいことです。
しかし現行品を70年代のものと比較すると、キャンバス地や皮のクオリティーがかなり落ちていますが、当時の値段の半額以下で買うことができますのでこれに関しては許すことに致しましょう。
スポーツシューズは当時やドイツやアメリカ製が優れているかというと、これらはもともと日本人の
一般的足型に合わせて作られてはいませんので、本来の目的で履いた場合にはかなり無理して履くことになります。
なんでも先の大戦の大日本帝国の兵隊さん方は上部から、「靴に足を合わせろ!!」
と戒められたそうですが・・・。
自分は以前サッカーをやっていましたが、サッカーシューズといえば、まず栄光の3本ラインのadidasです。
ドイツ人は特に足がデカイそうで、adidasの所謂ジュニアサイズなら丁度日本人の平均的足の大きさや 甲の高さになるようで、比較的無理なく履くことができたことでもadidasは受け入れられたのではなかったかと思います。同じドイツ製でもPumaはやや細めで、イタリヤ人よりに作られていたかも知れません。
(余談ですが、adidasとPumaの創始者は血を分けた兄弟です。)
そんな中、日本にも各スポーツの種類に合わせてシューズを提供していた優れたメーカーがありました。
それはオニツカ・タイガーです。
このブランドは当時タウンユースという履き方をしている人は皆無だったのではないでしょうか。
すなわち今風に表現すると日本肉食系体育会御用達勝負靴みたいな感じでしょうね。
このオニツカタイガーが体育会系じゃない人にも広く認知されたのは、
1973年の札幌冬季オリンピックではないかと思います。
ジャンプの日の丸飛行隊が使用し赤いオニツカラインがかなり目に焼きつきましたし、
スノトレという雪道トレーニングシューズなんかもスキーヤーから大変もてはやされました。
もともとカジュアル使用のコンセプトなんかはまったくなく、日本国内のプロフェッショナルなフィールドを戦力としておりましたので その後は地道な展開だったのですが、
近年フランスのスーパーモデル達が80年代ファッションブームのアイテムとして
オニツカタイガーのビンテージを何故か履きだし、それでメーカーも次々に復刻版を出している現況になっております。
このオニツカにもファブレというバスケットシューズがありましたが、
ついでにバックスキンのローカットを復刻させてくれるよう私は密かに望んでおります。
現在マラソンしている方に聞くと、オニツカタイガーの後継となったアシックス製がアマチュアランナーにはもっとも適しているとの話はよく聞きます。やはりその辺は流石にいい加減な靴作りをしていないなと安心しております。
いい加減な靴といえば、やはり一時期のナイキでしょう。(nike好きな方、ご免なさい。)
ナイキの創業当時、すなわちレザー、ナイロン・コルテッツやワッフルソールのランニングシューズを作っていた頃は大変真面目だったと思います。
このメーカーは後発となりますから、有名選手とのコラボ等で動く広告塔を作る等経営戦略を積極的に企て、みるみるうちにスポーツシューズのトップブランドとなりました。(コンバース社をも買収したそうですが。)
プロフェッショナルなものはその仕様はちゃんとしているのでしょうが、一時期は何でもナイキのマーク付ければ売れるぞ。みたいな感があり、ロボットの足元みたいなデザインで、また成田空港で海外に旅立つ老若男女の足元は必ずナイキ。で、ちょっとうんざりしておりました。
ナイキ自体も少し反省したようで、アジア諸国に作らせるのをかなり自粛したそうです。
現在はインターネットの普及で、興味あることはどんどん検索しその情報を得ることができますが、ジーンズとスニーカーにつきましてその実体験を元に記載してきました。
そしていまだに好きでちょこちょこと買ったりしています。コンバースやPro-Ked’sは同じモデルの色違いを取り揃え、その時の気分で選んで履いております。
何れにしろ70年代当時に日本に入ってきた物は、メーカーの創業当時のコンセプト、
すなわち確かな製品を提供し信頼を得る段階は終局し、大量生産体制に入っていた頃のもので、そのクオリティーがかなり落ちていたのも知らずに欲しがっていたということになります。
ただ単にアメリカ製やヨーロッパ諸国製というだけで持てはやされていたものより、
当時日本が研究し本物をも凌ぐ製品を作成していたということを海外が先に認め、
またそんな日本に先進諸国が驚異を感じ、後になって我々がこのことを実感するのは
日本人の悲しい性なのでしょうか?
この続編を記載するとするなら、「わが青春の上半身(エレキギター達)」となるのですが、この悲しい性を体感したことがありますので、その際にまた触れたいと思います。